渡辺カケルのブログ

ギター弾き語り

hai

神様が棲まない國

 

高層ビルのてっぺんに

武装した神様はいるか

整備された道端に

かどばった神様はいるか

抜け殻の神社に

手を合わせる意味はあるか

どこに行けど

あるのは痕跡

喉をかきむしっても

戻ることはないと知った絶望よ

「神様を殺してまで」

手に入れたかったものは

欲しかったものは

かどばった武器か金か

神様は欲望に形を変え

のさばっている

そこらを

 

神様はいない

神様はいない

空っぽにすきま風

びゅーびゅーと

吹いて

身震いが止まらない

なんでなんでと

自問自答

 

あのときから

季節は歩みをやめ

年中冬のまま

凍った

 あーあくだらねえ

nana

NANAというアプリを始めました。この前飲み会で知り合ったSapporo Electro Crack Makerさんの伴奏をお借りしています。

nana-music.com

nana-music.com

文章の参考

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自己表現の一つの手段として、こうしてブログを書いているけど、最近よく読んで勉強しているブログがある。

gamayauber1001.wordpress.com

リンクつけたらまつ毛の長い目が出てきて驚いた...! ガメ・オベール氏の素性は不明で、日本語をマスターした海外の人ということぐらいしかわからない。タイトルも日本語練習帳ということだから、もともとは日本語をインストールする際の補助的な役割で使われたブログなのだろう。2006年頃からの記事があるからずいぶんと前からあったみたい。もっとはやく知っていたかった。まあそんなことは置いておいて、読んでみると、毎回いろいろな面で勉強になる。政治についてや日本語そのものについて、また経済について。それから冒頭でも触れたように文章の作り方について。とにかく溢れんばかりの知識量と豊富な語彙を操り、暖かな人柄のにじみ出た文章にうならされる。この文章の温度は、(明らかに特定の人に向けて書いている記事以外も)誰か個人を頭の片隅に思い浮かべながら書いているから生まれるものなのだろうか。

米国音楽の偉大な伝統のなかに

wired.jp

前にブログでも書いたフォークシンガーの中川五郎さんがボブ・ディランノーベル文学賞を受賞したことに関して、Wiredのインタビューに答えた記事を見つけたので読んだ。

この中で、ディラン文学から学んだことはとの質問に、「自分の生き方をする尊さ」だと語っている。インタビューを読み終わり、前に観た中川さんの演奏を思い出している。きらきらした瞳で、ディラン文学を日本語で歌っていた。

かくいうわたしはディランを初めて聴いたのはほんの少し前だし、アルバムだって少ししかまだ聴いていないので、偉そうに語るなんてことはできないが、「時代は変わる」というアルバムの良さについて時々誰かに語りたくなる。声とギターとときどきハーモニカ、それだけでここまで完成している表現をしていることに驚いた。曲がりなりにも音楽で表現をしていたわたしも(すべきではないけど)自分の表現と比較して少し落ち込んだ。ボブ・ディランは同時代を生きたミュージシャンにとっては脅威そのものでもある。歌もギターも詩も曲も素晴らしいんだもん。それ以上なにもいらないじゃんってなる。そうそう「時代は変わる」というアルバムは本当に素晴らしい。これだけ言えればそれで満足。

―「自分の生き方をする尊さ」自分はできているだろうか。いや全然。こんなはずじゃなかったってことばっかりだな。なんにもないのだから、なんでもできるって自分を慰めるけど、自分の生きる方向すら掴めない俺はどこに向かって歩けばよいのだと。その都度また振り出しに戻って迷走中。俺はどこに向かえばよいのですか。答えは風...いや、やめておこう。

読書

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読書は著者と読者の会話である。あるいはそうあるべきものである。

「生きるということ」P59 著:エーリッヒ・フロム 

この言葉に出会ってから、著者との「会話」を意識するようになった。初めて会話のような感覚を味わったのは、2年ほど前。

それまで哲学の本を自分が好んで読む日が来るとは思ってもいなかった。哲学なんて自分とは無関係だと思ってきた。しかしほんの興味本位で当時の職場の同僚がおすすめだと言っていたヴィクトール.E.フランクルの「苦悩する人間」を借りて読んでみた。何度読んでも何度読んでも書いている内容が頭に入ってこない。たったの一行見逃すと、次の行を理解できない。難しい。時間をたっぷりとかけて丁寧に丁寧に文字を追っていった。一章読むのにどれだけ時間をかけたかわからないが、フランクルが言う内容をぼんやり理解できるようになってきた。それから少しずつ読むのが楽しくなっていった。自分の頭の中にある、ぼんやりとした「考え」というか「経験」に言葉がつけられていくような気がした。それらぼんやりとしたものを言葉で理解すると、頭の中で消化したようにクリアになる感覚を覚えた。しかし「苦悩する人間」は完全に読み切ったとはお世辞にもいえず、理解するまで借りていると時間がどんどん過ぎていってしまうのでお返しした。

さきほどの「感覚」だけを頼りに、自分で哲学の本を買ってみようと思い書店へ行った。書店の哲学書のコーナーは狭かった。その中でフロムの「生きるということ」を買った。そして読み進めるうちにその「感覚」に「会話」という言葉がつけられた。詳しく言うと「内的に参加する読書」は「著者と読者の会話」ということだった。今はフロムの本ばかりを読んでいるが、いつかもう一度「苦悩する人間」にチャレンジしようと思う。

 

冬らしく寒いですね。みなさま体を壊さぬよう。

この世界の片隅に

今週映画館のメンズデーに話題の「この世界の片隅に」を観てきた。見どころの一つにのんさんが声が良いというのは前に聞いていたが、本当に良かった。ややおっとりしたのんさんの声が主人公すずさんの魅力を一層引き立てていたと思う。ストーリーは軽やかに進んでいき、一年また一年と時が過ぎていく。昭和20年に向かって進んでいく。とにかく悔しくて、叫びたくなるような感情に満たされた。それでも観て良かった。